「幸せのレベルを下げる」というのを今年の抱負にしてみました(抱負とは少し違うかもしれませんが)。
昔いろいろと悩んでいたとき、母が「幸せのレベルを下げてみよう?」と言ったことがあります。
聞いた瞬間はよいことがあってもそれは普通のことだと思え。って意味なのかと思ったのですが、実際は逆でした。
どの程度からを幸せだと認識するか。そのラインを下げるという意味みたいです。
子供の頃はいろいろなことが幸せでした。
飛行機雲ができていた。
きれいなお花が咲いていた。
真ん丸の石を見付けた。
今だったら「それがどうしたの?」と言いたくなるようなことでも、子供の頃はそれが嬉しかったんですよね。
気が付いたら幸せはとても大きな物ばかりになっていました。
受験に合格した。
コンクールで入賞した。
努力してきたことが実った。認められた。
どれもすごく嬉しいことですし、とても大きな幸せです。
大きな幸せはもちろん幸せです。でも、小さな幸せは普通のことになっていて、幸せではなくなっていたんですよね。
きっと身近すぎて慣れてしまい、一々喜ぶようなことではないと認識するようになったんだと思います。
何が楽しくて、嬉しいか。それは当然人それぞれで違います。
私にとって楽しいことが他の人にはそうでもなかったり、その逆もあります。
でもそれってつまり、自分にとって何が楽しいか、嬉しいかは自分で決めていいってことですよね?
だからそのライン、レベルを思いっ切り下げてみようと思います。
今まで見過ごしていただけで、小さな幸せの種はあちこちに埋まっているのだと思います。
そしてその種は誰かが見付けたときにだけ咲くのではないのでしょうか?
小さな幸せをたくさん見付けて、たまに大きな幸せがあって。
そんな日常が幸せなんじゃないかなと思います。
今まで見向きもしなかったような石ころも、実は幸せの種なのかもしれませんね。
0 件のコメント:
コメントを投稿